今こそ求められる「もやい」
荒縄の強い結びである「もやい」。
それが転じて協同作業、さらには人々の結びつきや繫りも意味する言葉です。
東日本大震災に起因する東電福島原発事故はわたしたちが連綿と築いてきた人々との「もやい」、そして自然や大地との「もやい」を、ことごとく奪い去ってきました。目に見えない放射能は刃となって、わたしたちが無意識のうちに築き上げてきた大切な「もやい」を切り裂き分断させてしまったのです。原発事故の最大の災禍は、「もやい」の分断にあるのではないでしょうか。
実はこの言葉は戦後最大の公害病、水俣病の被害者の皆さんが社会運動をする上で生み出した思想が導き出した一つのキーワードです。
水俣病の発生で切り裂かれた地域社会、被害者加害者を含めた人々の荒れ果てた人間関係、そして恵みを与えてくれた大切な海は荒れ果て距離ができてしまった、、、。
反駁しあうことからは何も生まれないことに気づいた皆さんは再度「もやい」を直し、再び共生・協働の価値観を生み出せないかと道を探り一つの思想を生み出します。ただしその道を探り出すまでは長い年月の苦しみがあったことは言うまでもありません。
東電福島原発事故から7年半が過ぎました。
表面上は復興が加速化されているように見えますが、切り裂かれた「もやい」が生み出した「分断」は深く潜伏し、人々は目を閉ざし口を閉じることによって横たわる大きな溝を未だ埋められずにいることは明らかです。その溝を埋めるための小さなきっかけは、電力という「近代」の象徴に依拠してきた我々が、原発事故が引き起こした様々な状況を「見て」、「知って」、「考える」、そして犠牲による繁栄を享受することの原罪性に気づくことかもしれません。
表現を生業にしているものにとって、東電福島事故は避けては通れないテーマでした。あの日から7年半が過ぎた今、各々が各々の手法で表現してきたポスト原発事故のメッセージを、まずは手を取り合ってひとまとめに出来ないか?表現者の「もやい」が分断の溝が生み出す沈黙を打破することができないか? そういう思いから2017年7月東京・練馬区美術館にて「もやい展」は産声をあげました。
集まった表現者たちが各々の軸で捉えた3.11、そして福島のその後を、様々な方法で表現した空間が、ポスト原発事故におけるみなさんの様々な思いや記憶を交錯させる場となり、未来へとつなぐ新たな価値観創出のゆりかごとなってくれることを願います。
2018年9月15日 もやい展実行委員会
代表:中筋純