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中山 達磨(なかやま だるま)
陶芸家
1970年代に石川県珠洲市に移住。
途絶えた須恵器の再興を目指し珠洲焼きの制作を開始。
長く珠洲原発の反対闘争にも加わる。
3.11後に被災地を巡りオブジェ作品「NO MORE FUKUSHIMA」を制作。
個展開催多数。


1300度もの高温で焼き締められる珠洲焼。その黒色はとても奥深い。
能登で原発建設の話が沸き上がってから、ずーっと戦ってきた。
能登の海と、森と、土が大好きでここで窯を構えて数年経った時の話だ。反対を唱えたら地元でできた友人との縁が切れ、土を分けてくれていた土建屋の人とも音信が途絶えた。
それだけに福島の話は他人事ではない。
次々とくだけ散る原発のニュースを聞いていても立ってもいられなくなり、窯に火を入れた。
引き裂かれて行く人々の無念の思いを一つの珠洲焼に託そうとした。
東京の個展のあと原発被災地を廻った。物見遊山で行くべきでないという自分としっかり目を開けて現実を見る自分との葛藤だった。
浜通りの風景は海あり山あり。
事故さえなければ能登と同じ。のどかな日本の風景だった。
(中山氏へのインタビューを基に中筋純が作成しました)

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