彼女との出逢いは、2003年4月9日、福島県二本松市の病院だった。
非婚で産んだ彼女とのこれからの暮らしを思いながら、ぼんやり眺めていた視界の先に、溢れんばかりの桜を見とめ、彼女に「美桜」と名を付けた。
福島を離れ11年になる今も、彼女はふるさとを憶えている。
桜の季節に福島に帰りたいとせがむ小さな彼女に、「福島にある、東京の電気を作る工場から、体に悪い光のようなものが出て、あちこちに降り注いだ。目には見えないし、匂いもしないけれど、それは大地に降り積もり、悪い光を出し続けている。」と、連れて帰れない理由を伝えるたびに、私はきまってひとり泣いた。
震災前には毎年のように訪れていた、二人で暮らした家も、お世話になった保育園にも、彼女はもう8年行けていない。
小さかった彼女は、もうすぐ高校生。
未来を見据える若者の声を今、心に刻もう。
寄せられた期待と信頼を胸に、またここから歩んでいこう。
全ての若人に、幸あれ。
美桜、どうもありがとう!
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「モヤイ」と聞いたとき、頭に浮かんだのは一本の綱だった。
どこかで聞き覚えのあるこの言葉。しかしはっきりとは思い出せない。
そんなモヤっとしたものの中にひものような何かが見える
母にもやい展のことをたずねると、「もやいって元は水俣病から来てるんだよ。」
そのとき、一本の綱がハッキリと見えた
中学で嫌いな社会の授業。教科書のすみにある小さな資料にふと目がとまったことを思い出した。「もやい直し」
・「もやい」とは船と船をつなぎ合わせる「舫い」と、いっしょに仕事をする「催合い」の二つの意味を持った言葉です。水俣病をめぐる差別と偏見によって損なわれた人々の絆をつなぎ合わせ、新しい水俣をみんなで創っていこうという意味で使われるようになりました。・
何故か、目にとまった。
あのときは気にしなかったが、今思えば何か不思議なもので繋がっていたのかもしれない。
不思議なもの?「もやい」
教科書の文章を震災に置き換えるなら、
・東日本大震災をめぐる、偉そうな大人の小さな見栄とその他大勢の無関心さによって損なわれた人々の絆をつなぎ合わせ、新しい福島をみんなで創っていこう・かな。
「原子力発電は二酸化炭素を出さずに効率良く発電できます」という教科書。「なら全部原子力で発電すればいいじゃん」というその他大勢。
綱がピシッと張ったのが分かった
あぁ、何も知らないんだ。故郷も想い出も人生も、命さえも奪われた人がいることを。原発の、恐怖を。
仕方ない。だって大人が言わないんだもん。
私はその他大勢にはならない。
いや違う。
現状を知る人が大勢になればいい。
それに近付いていくのがもやい展だと私は信じている。
昔遊んだ公園に、自然に、故郷に、福島に、帰りたい。
震災から約八年間の私の小さな夢。
無力な私でも何かできることがあるならと、これを書かせていただきました。
名前も顔も知らないけれど、だれか一人にでも伝わればいいな。
いつかこの綱がギュッと結ばれることを信じて
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